オーヴァー・マイ・ヘッド


ロッキングチェアに揺られて昼寝をしている間に、僕の頭は胴体から離れてどこかへ飛んで行ってしまった。僕は目が覚めた後でそのことを知り、首の上のなんにもない空間を手でまさぐりながら、苦々しく「畜生」と思った。困ったなあ、夕方までに頭が戻って来てくれないと夕食が食べられないじゃないか。
と、思案に暮れていたところに呼び鈴が鳴り、「だんな、いるかい?」という聞きなれた<りんごじいさん>のだみ声がした。
<りんごじいさん>は僕の家の隣へ住んでいる、広大――とまでは言えないが、それなりに広いりんご農園の持ち主だ。<りんごじいさん>はりんごを栽培することに人生を賭けている。じいさんのりんごは想像を絶するほど美味しく、冬になると僕はじいさんのりんごを主食に生活していると言っても過言ではない。じいさんは白い息を吐きながら、一面りんごで埋めつくされたりんご農園を一日中歩き回って、収穫する。来る日も、来る日も、来る日も。その時のじいさんはこの上なく幸せそうで、三○歳ばかり若返って見える。
「だんな?」<りんごじいさん>の声。「あんたの頭を拾ったから、届けに来たよ」
「本当かい!」僕は大喜びでドアを開けた。
<りんごじいさん>は、お気に入りのヒョウ皮のふちなし帽を頭にのせて、笑って立っていた。両手で、しっかりと僕の頭を抱えて。
「ちょっとりんごの木の様子を見にね、農園へ行ったらだね、これが木の枝にひっかかってたんだよ。おどろいたね!あれま、だんなのアタマが、こんなところへひっかかっちまってる!んで、わしゃ、すぐに取ってやって、こうして持って来たわけだ」
「どうも助かります」と僕。たぶん僕の頭は僕の胴体を離れた後で、りんご農園の中を飛び回っていたんだろう。それにしても木に引っかかって御用とは、何とも間抜けな話だ。
僕は<りんごじいさん>から頭を受け取って、首の上へ乗せた。よかった、一件落着だ。お礼にお茶をごちそうしますよ、と<りんごじいさん>を中に入れた。冷蔵庫を開けて、とっておきのチーズタルトを取り出す。幸い朝わかしたお湯が大量にポットの中へ残っていたので、それを使ってアプリコットティーをいれる。<りんごじいさん>はロッキングチェアーが珍しいのか、さっきからしきりに揺らしてみている。キーコ、キーコという音が台所まで響いてきている。
「今年のりんごも、楽しみにしていますよ」湯気のたつカップをふたつトレイへ乗せて、僕はリビングへ戻った。
「そいつぁどうも」と<りんごじいさん>。「ま、だんなが満足してくれる味にゃ、なると思うよ。」そして突然、「あれま、神様!わしゃぼうしを被ったままだったよ!」と叫んで、ふちなし帽を投げ捨てた。
冬になると、この街は雪に埋もれてしまう。「一面の銀世界」などという言い回しが生ぬるく思えるほどの大雪だ。この季節になると、家の外へは容易には出られなくなる(死ぬかもしれないので)。去年など、僕は一冬の間、ストーブの前へ腰かけてじいさんが作ったりんごをかじりながらボブ・ディラン詩集を読む以外のことは何もしなかった(できなかった)くらいだ。
ああ、そう言えば、その他にもうひとつだけやった事があった。雪かきである。これは大仕事だ。積もった雪を放置していると、最悪の場合家が大破してしまうので、僕はセーターを6枚重ね着した上にジャンパーを二枚羽織り(靴下は七枚重ね)、ぐるぐるとマフラーを顔にまで巻きまくり、毛糸の帽子をかぶり、手ぶくろを九枚重ねはき、スコップを手に決死の覚悟で表へ飛び出した。
ドアを開けると、顔の両側に激痛が走った・・・・・・しまった、耳あてを忘れた!
慌てて家の中に引き返し、耳あてを装着し、再び出陣する。この偏執狂的な防寒対策にも関らず、悪魔の冷気は毛糸の繊維をいともたやすくくぐりぬけ、僕の肌を焼いていく。この命賭けの作業を終えた後、僕はストーブに抱きついて、まだ生きていられることを神様に感謝しつつ、ウィスキーをあおりまくった。ウィスキーが血管を走り、足の指の先っちょにたどり着いた時、僕は光に包まれる思いがした。
さて、そんな厳しい冬が終われば、待ち焦がれていた春が来る。溶けかけた雪をおしのけて、つくしが挨拶する。おしのけられた雪が川となり、川辺には花が咲く。春一番の風を感じると、僕の頭はいても立ってもいられなくなり、ぽんと首からはずれて飛んで行ってしまう・・・・・・。

「春になると、色んな人がここを出て行っちまうよねぇ」
<りんごじいさん>、口のまわりをチーズだらけにして言った。
「だんなは、街へ行かねぇのかい?」
僕は、カップの底にうつった、自分の顔を見ていた。ぶざまに伸びた、ぶしょうヒゲ。
「だんなはまだ若いんだし、こんな片田舎でくすぶってても面白くないでしょう。ここにゃ何にもありゃしねぇし、わしみたいな年寄りばっかですしな」
ストーブの炎の音が部屋を満たした。じいさんの影がゆらゆらとゆれた。
「しめっぽい話はやめましょうや」と僕は笑ってカップを手に取った。「さァ、このお茶をもう一杯やるといい」

やがて冬がきて、僕は部屋にとじこもり、ストーブの前でじいさんのりんごをかじりながらボブディラン詩集を読む。頭も家出を断念し(さすがに命は惜しいらしい)、おとなしく首の上へ鎮座している。一週間に一度、僕はセーターを六枚重ね着した上にジャンパーを二枚羽織り、(靴下は七枚重ね)ぐるぐるとマフラーを顔にまで巻きまくり、毛糸の帽子をかぶり、手ぶくろを九枚重ねはき、そして耳あてもちゃんとして、スコップを手に決死の覚悟で表へ飛び出す。命賭けの作業が終われば、ストーブに抱きついて、まだ生きていられることを神様に感謝しつつ、ウィスキーをあおりまくる。ウィスキーが血管を走り、足の指の先っちょにたどり着いた時、僕は光に包まれる思いがする。
そんな寒さの中で、<りんごじいさん>はりんごを収穫しているのだ。

さて、そんな厳しい冬が終われば、待ち焦がれていた春が来る。溶けかけた雪をおしのけて、つくしが挨拶する。おしのけられた雪が川となり、川辺には花が咲く。春一番の風を感じると、僕の頭はいても立ってもいられなくなり、ぽんと首からはずれて飛んで行ってしまう・・・・・・。
頭は、僕が住んでいる田舎街の上を飛ぶ。そして、<りんごじいさん>の農園に舞い降り、じいさんが収穫し忘れたまま枝に残っているりんごを探す。「一冬収穫されぬまま、ほうっておかれたりんごは意外なほど美味しい」と、誰かが言っていたっけ。
その気になれば、頭はもっと遠い所にも飛んでいけるだろう。行ったことのない街、華やかな街、人生を左右するような女性が住んでいるかもしれない街へも、飛んで行けるだろう。
しかし、頭はそうはせずに、結局は僕の首の上へと戻って来る。そして、もうタイトルすら忘れてしまったような古い歌のフレーズを口ずさんでみる。いつかこんな気分のいい日に、ラジオからこぼれていたあの曲のフレーズを。

頭のいるべき場所は、僕の首の上。そして、僕がいるべき場所は、この街。

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